1989年12月、チャウシェスク政権が崩壊。
「
狙われたキツネ」は、革命前夜のルーマニアを描いた作品。
以前にも読んでいたが、ヘルタ・ミュラーが昨年、ノーベル文学賞を受賞したこともあり、新装版が発刊されたので再読。
ふたりの若い女性、教師のアディーナと工場で働くクララの姿を通して、独裁政権下の日常が描かれる。
上司に睨まれたアディーナは秘密警察の影に怯える。一方、クララの愛人は秘密警察の男。
ここでは誰もが猟師で、誰もがキツネになる。
栄養失調でイボだらけの指をした子どもたち。一方で独裁者は毎朝新品の服を着る。その不条理の世界では、絶望が風景まで変容させる。
大輪のダリアはキッチンや寝室を監視する。公園の空気にも恐怖がたちこめ、空はこの街を捨てて遥かな上空に出ていく。ひからびた日常を生きるうち、この国がドナウ川で遮られ、自分たちが見捨てられていることも当然と思えてくる。
不幸と絶望が、現実味いっぱいに描かれる。
独裁者は処刑されるけども、それすら「気にすることはない」。何も変わらないのだから。
この言葉に、独裁者が消えても、われわれ自身の中にも、その残酷さの種はあるのだと指摘されているように感じ、幸福とは、豊かさとは何かと考えずにはいられない。